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いやいやいや。
明けましたおめでとうございました!おおよそ1年ぶりのm_cmです。 バイトといえど、なんだかお仕事の忙しさにかまけてうっかりうっかり!更新途絶えてました! なんせ1個下のブログタイトルが「春来た!」ですからね! ・・・本当すんません・・・ あれですね、非常勤とはいえ働き出してからすっかり謝るのが上手になっちゃいまして。 なのに仕事の生産性の低さとお金の無さとぐだぐだの暮らしっぷりはあいかわらずのだめにんげんですよー!(*´∀`*)うはははは! えーとですね、更新がなぜ途絶えていたのかといいますと。 今日は地元の幼馴染と遊んできまして。 あ、そやつとは私が大阪に越してきてすぐの小学校1年時からの付き合いでして。 あまりに見事な卵型の顔とつるんとした丸いデコを持つために、 もう1人の腐れ縁の友人との間ではその子のことを 玉(ギョク)※吉野家の脇メニュー「生卵」を通が示す呼び方 というあだ名で呼んでいます。 うーん、「まめーず」「たぷたぷ」に引き続きまたおかしなあだ名ですね。 まあ私が勝手に名づけてるんだけどね! ただ玉の場合、 本人その他へのパブリックあだ名は「名前の一文字+ちゃん」としていますので おそらくこの本当のあだ名をヤツは知らないでしょう。 ごめん玉、実は君、私の携帯に「ギョク」で登録されてる。 今日も見事な卵型でした。 その玉と話していてふと 「そういや昔よく絵書いてたけど今も書いてんの?」と言われたときに そういえば大学4年目~卒業のあたりから お絵かきもブログ更新も読書もすっかりしなくなったなあということに気づきまして。 玉にそのことを伝えたところ、 「読書がインプット、絵とブログがアウトプットみたいな感じになってたんやね?」 と言われ。 それを聞いて ああ、そういわれればそうだなあ、と。 学生時代はとにかく時間的にも精神的にも余裕があったから 思う存分自己表現を楽しむことができたんでしょうね。 そんな大学時代をマズローの5段階欲求(自己啓発セミナーとかでよく出てくるね!)にあてはめて考えてみると、 ①実家暮らしで②まだまだ大学生としての立場を謳歌しつつ③④毎週講義やらゼミやらで友人達と顔を合わせてキャッキャキャッキャしていた訳ですから、 ①生理的欲求 ②安全の欲求 ③親和の欲求 ④自我の欲求 の各段階をおおかた満たしていたんですね。 その上で自己実現欲求としてのインプット・アウトプットがあったのかなと思います。 そうやって考えると、安定した所属場所と友人ってもんのすごい大きな価値を持っていますね。 特に大学時代の友人とは 就職後なかなか会える機会が減ってしまいますが、 かなり助けてもらっていたんだからもっと大事にせんといかん・・・と反省しました。 今月のゼミ定例会、「おかねない」て理由で行かなくてごめん(´・ω・`)でもお金がないのは事実なんだけどね。 なんでこんなにお金ないんだろー? やっぱり1日1箱のタバコと1日3~5本の缶コーヒーが家計を圧迫しているんでしょうか。 この5段階欲求ですが、マズローさんは 「生理欲求やらなんやらは順番に満たされていかないと次の段階に進まないよー」 と定義付けてますね。 下位の欲求が上位の欲求の動機付けになる、てことだったかな? んで自己実現欲求についてはそれ自体がまた自己実現の動機付けになりうる、と。 なんかそんなことを言っていたように記憶しています。 その理由は、単純に精神的な余裕のキャパシティの確保ってことなんでしょうね。 食べるものがなくて明日飢えるかもってとき(生理的欲求)に 同居人が「それでも君を愛してる!愛で君を包み込むよー!」とか言い出しても このデコやろうってなるかと。同情するなら金をk(略)となるかと。 そのときばっかりはとりあえず食べ物優先ですから。 でも、この段階通りではなくとも 立派に自己実現を果たす人はいらっしゃいますね。 清貧の芸術家の方などで素晴らしい作品を残してる方もいらっしゃいますし。 ただ、その場合は作品そのものが 生理的欲求を満たす手段にもなっている(お金に代わる)とともに 安全欲求、親和欲求を満たすことになる(パトロンの目に留まる、同じ志のコミュニティに属せる等) という部分は否めませんが。 それらを含めて自己実現欲求への動機付けが大きいんでしょうね。 いまのところ、ペーペーの私にとって まだお仕事は自己実現の場にはなっていないかなあと思うです。 その状態で自己実現の欲求を満たすためには 読書やら絵やらブログやらを1人でもそもそやることになるのですが、 それを休んでしまうというのは まだまだ精神的な余裕を作れていないからなんだろうなあと反省しました。 余裕がないとカリカリするよね。 カリカリすると周りに迷惑かけるよね。 いかん。これはいかん。 ということで、 今年の目標は「精神的な余裕を失わない!」 その自己評価として読書と絵とブログを設定します(´∀`) 先行き不透明もいいとこですが頑張りますよ!力いっぱいしょぼっしょぼに頑張りますよ! そうそう、玉がなんで私にまだ絵を描いてるか聞いたのは、 「今やってるバンドの宣伝用になんか書いてほしいから」だそうです。 玉曰く、 「バンドっちゅうのは結局宣伝力。 どんだけいい歌を作っても、それが無名のバンドだったら なかなか耳を傾けてもらえないもん。 だから私はこのバンドの広報的な面を押していく」 だそうです。 ネームバリューとしての付加価値ってことですね。 さすがデコ広いだけあって、ヤツも脳みそでいろいろ考えてるようです(´∀`) 頑張れ!玉頑張れ! ただ私の絵では多分誰も食いつかないぞ! そこは完全に戦略ミスですよ! どうもどうも、m_cmです。お久しぶりです。 この春大学を卒業してそのままなぜだか大学で働き出して ばたばた生活に追われていたらいつの間にやらゴールデンウィークではないですか! イエスGOLDENウィーク! 9連休ですが・・・いいんですか?そんなにお休みいただいちゃっていいんですか?(*´∀`*) でもこの休暇中は精神保健福祉の勉強をせねばならないのですが、 びっくりするほどやる気が起きない! 学位を授与していただいても変わりませんねー。相変わらずだめ人間ですよー。 だけどもね、あの、お仕事させていただきながら勉強するって ずいぶん辛いものがあるですよ。 自分がその立場になってようやく大変さが分かりました。 すいません、正直なめてました。 でも私は正社員という訳ではないですので、正社員雇用でフル勤務しながら勉強されてらっしゃる方はもうえらいこっちゃですよこれ。いや、もう本当すごいです。 私ですら勤務終了後に帰宅したらもうフラフラで勉強する気なぞ全く起きないというのに。 頑張ってる皆さん、本当素敵。 私は普段できてない分この休暇中に勉強を進めねばなりません。が、 やっぱり全然やる気が起きない!! 見えるよ、7月中旬頃に「〆切が〆切があうえあ」と泣きながら必死にレポート書いてる自分の姿がくっきり見えるよー(´∀`) なんだか学生時代とあまり変わっておりませんが、現在私は 出身大学で「非常勤助手」という名目で働かせていただいております。 といっても教員の末席にいる訳ではないです。普段は大学事務室におります。 といっても事務員ということでもないです。 なかなか説明が難しいのですが、まあ学生さんと先生の伝書鳩役をしているとお考えいただければ良いかと思います。 いや、これもよくわからない説明だな。 うん、でもまあ、今まで通っていた所で働かせていただくというのは面白いものですね。 知っている場所なのに何もかもが新鮮です。 本当にいい経験をさせていただいてるなあ・・・ 4月から社会人経験ゼロの礼儀もわきまえていないような小娘が入ってきて、 常識知らずである故に、周りの皆様にはたくさんご迷惑をおかけしています。 それにも関わらず色々と親切に教えていただいて、 先生がたや事務員のかた、学生の皆さんと触れ合って新しい発見を得て、 これで給与までいただいていいんですか!駄目だろ! このお仕事は私のゼミの教授からご紹介いただいたのですが、 本当に教授には感謝してもし足りないです。 振り返って考えてみると、私は今まで、全て周りの方々のおかげで生きてきた気がいたします。 与えられ教えられしたおかげでこんなにおっきくなりましたよ。 その分頑張らんといかんね。 ということで本日は、今まで関わってきた全ての皆様に感謝をお伝え、でした。 なんだかんだいって、生き物の中で人間一番大好きなのを噛み締めつつ この連休を楽しみます(*´∀`*) ずっと鑑賞したかった絵画展を見に美術館行って、大型の本屋さん行って、映画も誰か一緒に行ける人いたら行って、 1度大学に行ってカウンセリングルームの整備しつつ梅田にショッピングも行って、就職決まった友人を祝いに行って・・・ 勉強・・・しなきゃな・・・。 思いついたことを書き留めただけなのでスルーしてくださいー イデオロギー イデオロギーに形はありません。なぜならば、形を必要としていないからです。 あえて言うならば人が生きるこの社会の中にある一定の歪みの集大成である、といえます 政治や社会の一極的な観念、人を扱うために必要であるということです。 マルクス:最初にこの語を使用。階級闘争。正当化。 ※合理的→解釈の拡大 フィロソフィー イデオロギーとフィロソフィーは言葉として並べると非常に近しい意味合いを持ちます。 フィロソフィーにおいては哲学とよく訳されますが、それは人と他者、自然、宇宙の存在への意識および融合について人が発達した思考の上で捉えようとすることです。 ただし、人は生き物です。そのことから、私個人としてのフィロソフィーの核はメメントモリであると結論づけられます。 死が意味を持つのは、過程によるものです。それすらも含んで生を持ちます。 神 神が人を作った、ということは西洋宗教でも日本古来の宗教でもいわれています。 キリスト教においては旧約聖書およびイエス・キリストの出現以降を書いた新約聖書の中で神について定義付けられています。 それに限らず、紀元前からいつの文明においてもその姿は絵や文字で表されます。 しかし、神が人を作ったのならば神は何から作られたのでしょうか? 神は人智を超えたものであり、崇高であるとされます。そうした意味づけや形付けは全て人が行うものです。 ただ、そこにあるもの。 具体的思考による根拠はありませんが、 神とは宇宙の一部であり、世界の一部であり、人の一部でもあるのではないかと考えます。 人が戀い、慕うのは何故か? 神になりたい、というのは、全能でもなく支配でもなく創造主でもなく ひとえに愛に渇望しているためではないでしょうか。 性善説支持という個人的思考がよく表れております。 ざっと読んで見ると、なんだか 新しいカルト宗教に傾倒したやばい人みたいだ・・・(´∀`) メモ帳終わり! おはようございます。ここ何日か小春日和が続いております。 昔は2月とかクソ寒かったのになあ。今は冬でも暖かいすねー 暦と実際の四季にズレが出てきているのかなあと思っていたんですけども、 太陰暦だった頃ならいざ知らず現在は太陽暦が使われているので 単純に全体の平均気温が上昇しているんだろなあ。 ここ最近1990年代の邦楽ばかり聴いています。 よく、女性は歌詞を重視して男性はメロディ(テクニック)を重視するといいますが 私もがっつり歌詞重視派です。 メロディを掘り下げて聞くのはカシオペアくらいですね。歌詞無いからなんだけどね。 で、歌詞からの超個人的なミスチルさん考。 全体として、Mr.Childrenは作詞者(桜井氏)の個人性がよく表れているなあと思うんですけども。 その中でも、デビュー~1995年頃まではすごく他者を意識しているような感じで。 「君がいた夏」から始まって「イノセントワールド」「everybody goes-秩序のない現代にドロップキック」「名もなき詩」がこのあたりかな? 音楽使って何かやったるぞこらって感じです。 それが、「深海」~2000年ちょいくらいまでになると 自己を含めた世界の両面性に対面してゆさぶられてるような感じを受けます。 白い空間の中にいるのに、黒いドロドロしたものに足をとられてもがいている雰囲気。 周りはなんかキラッキラしてるんだけど、ひざくらいまでドロドロがいるもんで どうすんだこれって悩んでるような。 でも最近のリリース曲を聞いていると、 そんな白も黒もまるっと抱えて受け入れているような気がします。 自分の中のあるがままをそのまんま受け入れて出したものが歌になっている、という。 「しるし」も「フェイク」も間違いなく自分の中にあるもので、 そいつらも自分なんだ、て感じでしょうか。 そういう変遷があるかなと個人的には思っております。 でもこれは私個人の音楽の捉え方が激しく影響しているので あくまで超個人的ミスチル考です。歌詞を聞いて私が感じること、てことで。 売れ線邦楽はがっつり馬鹿にされがちですが・・・私はがっつり聴いてます・・・。 音楽に限らず絵画や小説などなどの芸術作品は 作った人の内面性(想い)がよく表れる物だと思います。 ピカソさんの「ゲルニカ」を、描かれた歴史的背景を知らずに見ても なんとなく負の感情を感じ取れたり。 そういうの考えながら見たり聴いたり読んだりしてるとなかなか面白いです。 でも1番面白いのは、同じものを見ても1人1人捉え方が異なるってことですね。 上のミスチル考も違う人は全然違うと思います。 いうなれば他者を介して己を知る、てことでしょうか。 作者の思惑を超えたものが人の中に生まれる、というのが 芸術の醍醐味かと思われます。 Excite エキサイト : 社会ニュース ― 〈老人虐待〉ペット用のオリに・・・手錠も 千葉の介護施設 「福祉」って何だろー。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ご無沙汰してます、m_cmです。 ここ2週間ほど大学の集中講義がありまして、朝6時起きの生活を続けていたら 早起きが習慣づいてしまいました。良い傾向ね。 精神保健福祉士の短期養成施設、無事合格いたしましたよ! 春からは通信学習・バイト・ボランティア中心の生活となる予定です。 あと、半年くらいワーカーの臨床研修的なこともしたいなあと思うんですけどね。 先生に相談すっか。 本日見つけた社会ニュース。私が見た時点では閲覧数ランキングトップ1でした。 ニュースを読んで個人的につらつらと考えたことなぞ。↓ 道を歩いててすれ違う人。記憶にも残らないですよねー 自分と関わらない限りは背景みたいなもんです。 でもその人にも今まで生きてきた中でドラマがあって何か感じたりしながら生きてる訳で。 満員電車では、人は無意識に感覚を閉ざしています。 そうすることで、自分の至近距離に他人がいることで起こるストレス反応を感じないようにしているんですね。 こうやって他人を感じないようにし続けていると、そのうち 自分以外の人間にも奥行きがあるってことを考えられなくなっちゃう危険性があります。 感覚が鈍っていっちゃうんですね。 同じように、 ・意味わからん行動をする人 ・奇声を発する人 ・いつも無表情でこっちがアクションしても全く反応を示さない人 「こいつようわからん」「おかしい奴」と認識すると、 その時点で相手は自分の認知外の存在になる、と。 →相手の気持ちを考えなくなる。 「え?あいつに感情なんて存在すんの?」 自分がされたら不快に思うはずなのに、相手に対しては不快な行為も気にせず行うようになる。 こういうの、福祉業界ではよくあるそうですよ。 上のニュースも氷山の一角でしか無いと思います。まだまだあります。 自分自身もこうなる可能性は十分にあります。 普段「あ、今日の対応は相手のことちゃんと考えてなかったな」と思った時に 思い出す言葉があります。 大学の講義で教えて頂いたものです。 “感情の殻の中には、人がいる” 相手がキ○○イに見える? その人は、私(そしてあなた)と同じ人間。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 福祉と聞くと ・・・「助け合い」「ボランティア」「ダサい」「偽善的」 「賃金低い」の割に「税金ドロボー」「おんぶにだっこ」 どんなイメージありますか?
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